追悼 谷佳紀 遺句抄

『海原』No.6(2019/3/1発行)誌面より

◆追悼 谷佳紀 遺句抄

風がゆっくり雨がゆっくり柚子畑
一人って空の広さで紅葉多分ですが
後れ毛のように街並みは冬になった
その奥も冬が積もった古書の山
冬月に僕の濁りがゲップする
スケッチブックに古書のふくよか冬桜
お雑煮の愉快に旨く凪いでいる
臘梅が楽しく咲いて旅行中
紅梅の日暮れが通夜への愛にして
四十九日やおたまじゃくしぴちぴちの桜
畑が広がりパン屋にさくら草
青空や腑抜けになって目高になって
たんぽぽの絮と一緒の空きっ腹
天使からもらった夕陽山法師
沙羅のリボン肘や首お休みなさい
雨消えてキスにやさしいクローバー
紫陽花やいつも一人でいつもいたずら
夾竹桃が呼ぶんだビールが欲しいのさ
蜻蛉はすでに雨を散らした虹なのだ
体に雨の雨が眠って青葉かな

(二〇一八年作品より佃悦夫抄出)

人生円熟 佃悦夫

 「海程」創刊期からの参加者であり生え抜きと言える。プライバシーは断片的にしか知らないものの長年の盟友は多々。新潟県出身だが関東に出てきて、まず日逓製作所に職を得、しばらくして学校事務職となり定年まで全うしたのが公的な人生だった。
 初期の東京例会での発言はラジカルを常とし兜太にも臆することなく正面からぶつかった。同人誌から主宰制と変わったものの彼の姿勢は不動であり、ブレは皆無だった。
 作品もそのままを反映し攻め一方と言えた。若書きと言えばそれまでだが、そのエネルギーは噴射しつづけていた。もちろん作品世界は一直線の即物主義といえるほど真摯であった。虚構は無くも無いが、歴然として可視の域であった。
 作句者として漫然と才能を削っていたわけでは決して無い。
 平成元年発刊の金子兜太編『現代俳句歳時記』(チクマ秀版社)の協力者の一人として、その有能ぶりを発揮している。ふだんは特別に多弁ではないものの、発言は的を射ていただけに、この協力はかなりの貢献だったと思う。
 俳句の縁で金子夫妻の媒酌で結婚しているが数少ない一と組かも知れない。なんとその後を追う死となるとは。
 健康には人一倍心懸けていたようで各地開催のマラソン大会に七十歳台半ばのつい最近まで能う限り参加していたようだ。その死の原因は心筋梗塞(虚血性心疾患)というが、いまなお信じ難く、良く通る男性的な声を思い出す。
 金子兜太という強い磁気に吸い寄せられるように前衛俳句の作者として出発したに違いは無いが、別掲の作品は何と円熟度が高く、晦渋もなく穏やかな口語体である。肉体をとっくに突き抜けており、初期の作品からは想像も出来ない。いわゆる「ほっこり」「ふんわり」の感触である。
 その到達は彼の人生がいかに充実していたかの明らかな証左であると確信する。
 二〇一八年十二月十九日逝去、享年七十五。

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